アアオイイエウウ

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    OUT(下) / 桐野夏生

    OUT 下  講談社文庫 き 32-4OUT 下 講談社文庫 き 32-4
    (2002/06)
    桐野 夏生

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    OUTな男である佐竹光義とOUTな女である香取雅子。
    下巻はまさにこの二人の物語といっても過言ではない。

    佐竹の包囲網が4人の女を追い詰めていくスリルは、
    ミステリーとして非常に読み応えがあるが、
    クライマックスで展開される恍惚には、
    それらを容易く飲み込んでしまうほどの魔力がある。

    バラバラ殺人というものが、単なるプロットに過ぎず、
    OUTな人間の狂気とも絶望とも恍惚ともいえるような精神世界こそが
    作者の描きたかったものであると気づかされるとき、
    単なる推理小説やミステリーにはないような生々しさが垣間見られる。

    この生々しい精神世界こそが、桐野夏生ワールドであり、
    この小説の魅力であり、この小説の魔力であるといえる。
    それは筆舌に尽くし難いものであり、
    作者の筆致のみによって語られる至極の地獄なのかもしれない。


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    爆笑問題のニッポンの教養スペシャル 表現力! 爆笑問題×東京藝術大学

    2009年8月17日放送の爆笑問題のニッポンの教養。
    この日は東京藝術大学での鑑賞会と討論会の様子が放送された。

    イメージ、想い、感情、意図など、自分の中にある概念を
    表に現すこと、それが表現であるといえる。
    だからこそ、自分の中にそのような概念がなければ、
    相手が何かを感じたとしても、伝わったことにはならない。
    相手が偶然何かを感じただけで、表現できたということにはならない。

    そう考えると、表現は、自分自身で楽しむだけでは成立せず、
    共感してもらわないと成立しないように思える。
    共感されることによって表現が成立し、それが自己肯定に繋がる。
    その自己肯定感が喜びなどのプラスの感情に転換され、
    また表現したいという欲求に変換される。
    そういったサイクルが表現にはあるように思える。

    他人に伝わることが表現の本質であるとするならば、
    より多くの人間に伝わった方が表現として価値があるということになる。
    大勢の人間を引きつける表現の方が魅力的であり、
    そういう表現は必然的に評価が高くなる。

    しかしながら、多くの人間に訴え得る表現というものは、
    往々にして、その奥深さを損なってしまうという傾向がどうしてもある。
    わかりやすさを追求するあまり、表現が浅くなってしまうという現実がどうしてもある。
    加えて、その表現を真に理解できる人の割合は必然的に低下し、
    表現の希薄化が進行してしまう。

    そういった意味で、プロの表現者として生きていくならば、
    どこかで魂を売らなければいけない局面がある、と太田光は語る。
    確かにその通りかもしれない。
    表現に限らず、妥協というものは、現実社会で生きていくためには避けられない。

    それでも、表現の奥深さが捨象されてしまっては、表現として成立しない。
    表現は奥行きを失ってはいけないし、リアルさを失ってはいけない。
    マスコミュニケーションの発達によって、
    生々しい表現に触れる機会が相対的に少なくなってしまい、
    それが表現の希薄化にも繋がっている。
    リアルさを保った表現こそが、相手に伝わる表現であり、
    そういった表現こそが、より多くの人に伝わる表現であり、
    より長い年月を通して継承され続ける表現になり得るはずである。

    我々は表現するという行為に対して、もっと積極的になるべきであり、
    表現を受け止めるという行為に対して、もっと能動的になるべきだろう。


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    爆笑問題のニッポンの教養 コトバから逃げられないワタクシ / 田中克彦 × 爆笑問題

    爆笑問題のニッポンの教養 コトバから逃げられないワタクシ 言語学爆笑問題のニッポンの教養 コトバから逃げられないワタクシ 言語学
    (2008/05/27)
    太田 光  田中 裕二

    商品詳細を見る


    音声学には両唇閉鎖音というものがあり、「マ」や「パ」の音がそれにあたる。
    両唇閉鎖音は発音しやすい音であり、
    赤ん坊などは初めて話すとき、そのような音をよく発する。
    この両唇閉鎖音が「ママ」や「パパ」という音を生み、
    赤ん坊を世話する両親が、
    自分達のことを言われていると勘違いして、
    「ママ」や「パパ」という単語が両親を表す言葉になった。

    英語には「肩こり」という言葉がないので、
    「肩こり」という概念がない、というのは有名な話。
    しかし、他言語には「肩こり」という言葉は存在し、
    面白いことに、ドイツ語では「肩こり」を「カーター」という。
    「カーター」はもともと「猫」という意味であり、
    ドイツ語では、「肩がこっている」という状態を「肩に猫が乗っかっている」と表現するらしい。

    ソシュールによれば、言葉はあることを順を追ってしか言えない。
    例えば、「イヌ」という言葉を言おうとしたら、
    「イ」と言った後に「ヌ」と言わなければならず、
    「イヌ」を一瞬で表現することは出来ない。
    さらに「イヌがその辺でネコを追いかけている」という現象も
    絵で捉えれば一瞬だが、
    言葉で表現しようとすると、順を追ってしか言えなくなる。
    そういったもどかしさが言葉にはあるということ。

    他にも、言語に関するトピックスが数多く散りばめられており、
    言語学を楽しむためのエッセンスが凝縮されている。

    短時間でさらっと読むことができ、内容も優しいので、
    誰でも気軽に読むことができると思う。


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    OUT(上) / 桐野夏生

    OUT 上  講談社文庫 き 32-3OUT 上 講談社文庫 き 32-3
    (2002/06)
    桐野 夏生

    商品詳細を見る


    深夜の弁当工場で働く4人の女がバラバラ殺人を犯すという話。

    雅子は元銀行員で、家族を見捨てた夫と、高校を退学して口を利かなくなった息子をもち、
    弥生は才色賢母だが、賭博と女遊びで貯金を使い果たした夫に暴力を振るわれ、
    ヨシエは寝たきりの姑の介護と反抗期の娘の板挟みに合い、
    邦子は車やブランド品で多額の借金を抱え、内縁の夫に夜逃げされる。

    そんな不幸の象徴とも思えるような4人の女達の人生が描かれており、
    上巻では、そういった下層社会に生きる人間の醜さや寂しさなどに焦点が当てられている。
    ストーリーも全体として場当たり的な展開が多く、先が読めてしまう感が否めないが、
    逆にそういった低俗さが登場人物達の人間味を際立たせている。

    上巻では、この小説の魅力はまだ発揮されていないので、
    下巻への布石と考えて読むことが賢明かもしれない。
    黒い幻とは何なのか。
    そこがこの小説の主眼であるともいえる。


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