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    爆笑問題のニッポンの教養 人工舌 都甲潔 「味のある話」

    爆笑問題のニッポンの教養。
    今回は人工舌の都甲潔氏との対談。

    生物は本来、甘みを好み苦みを嫌う性質をもつ。
    粘菌を増殖させる実験からも、
    原始的な生物でさえ甘みや苦みに対する嗜好性をもつことが示唆されている。
    生物にとって、甘みは栄養源として、苦みは毒として認識され、
    その認識が嗜好性に反映されてきた。

    しかしながら人間は、
    進化するにつれて、本来は嫌っていた苦みを好むようになってきた。
    ビールやコーヒーなどは嗜好品として広く愛用されている。

    本来は毒である苦みでも、少量であれば良い感覚に変わるというような、
    ある種、薬のような感覚があるのかもしれない。
    この変化は一様な刺激では満足できなくなった人間が、
    多様な刺激を求めるようになったという一つの例のようにも思える。

    原始的な人間は、食の安全性を純粋に味覚で判断してきたけれど、
    現代では食の安全性が確立されてきて、味覚による判断があまり必要ではなくなってきた。
    視覚や賞味期限などの味覚以外の情報が食の安全性の担保として採用されるようになってきた。
    このような事実を考慮すれば、味覚は進化したというよりは、どちらかというと退化したように思える。
    まぁ、進化・退化などという概念は単に認識の違いによるものであるが。

    味覚センサーの開発などと言っているけれど、
    それはただ単に味覚という複合的な感覚を
    甘味・うま味・コク・苦味・塩味という5つの要素に還元したにすぎない。
    この要素一つ一つもいくつかの要素の複合だとは思うけれど、
    結局は還元主義的な発想であって、
    複雑な味覚という現象を解明したことにはならない。

    事実、ホットミルク+たくあん=コーンスープ、
    みかん+しょうゆ=いくら、などセンサー上は成り立っていても、
    味覚上は、まぁそう思えなくもない程度の整合性しかないようだった。
    しかもその言い訳が、視覚情報が先行しているから、では話にならない。

    主観的な体験である味覚というクオリアを
    客観的な記述である科学で説明するというのはやはり難しいということだろう。
    都甲氏が脳科学的な還元主義に陥らずにクオリアという認識論的なアプローチも試みてくれれば、
    もう少し深みのある内容になったかもしれない。

    いずれにしても、この研究は未だにテレビ的な眉唾な議論を脱していない感があるけれど、
    それはある意味、この研究が展開する可能性でもあるわけだから、
    これから期待できる面白い分野だと思う。
    そういった意味でも今回の対談は比較的有意義だったのではないかと思う。


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