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    爆笑問題のニッポンの教養スペシャル 表現力! 爆笑問題×東京藝術大学

    2009年8月17日放送の爆笑問題のニッポンの教養。
    この日は東京藝術大学での鑑賞会と討論会の様子が放送された。

    イメージ、想い、感情、意図など、自分の中にある概念を
    表に現すこと、それが表現であるといえる。
    だからこそ、自分の中にそのような概念がなければ、
    相手が何かを感じたとしても、伝わったことにはならない。
    相手が偶然何かを感じただけで、表現できたということにはならない。

    そう考えると、表現は、自分自身で楽しむだけでは成立せず、
    共感してもらわないと成立しないように思える。
    共感されることによって表現が成立し、それが自己肯定に繋がる。
    その自己肯定感が喜びなどのプラスの感情に転換され、
    また表現したいという欲求に変換される。
    そういったサイクルが表現にはあるように思える。

    他人に伝わることが表現の本質であるとするならば、
    より多くの人間に伝わった方が表現として価値があるということになる。
    大勢の人間を引きつける表現の方が魅力的であり、
    そういう表現は必然的に評価が高くなる。

    しかしながら、多くの人間に訴え得る表現というものは、
    往々にして、その奥深さを損なってしまうという傾向がどうしてもある。
    わかりやすさを追求するあまり、表現が浅くなってしまうという現実がどうしてもある。
    加えて、その表現を真に理解できる人の割合は必然的に低下し、
    表現の希薄化が進行してしまう。

    そういった意味で、プロの表現者として生きていくならば、
    どこかで魂を売らなければいけない局面がある、と太田光は語る。
    確かにその通りかもしれない。
    表現に限らず、妥協というものは、現実社会で生きていくためには避けられない。

    それでも、表現の奥深さが捨象されてしまっては、表現として成立しない。
    表現は奥行きを失ってはいけないし、リアルさを失ってはいけない。
    マスコミュニケーションの発達によって、
    生々しい表現に触れる機会が相対的に少なくなってしまい、
    それが表現の希薄化にも繋がっている。
    リアルさを保った表現こそが、相手に伝わる表現であり、
    そういった表現こそが、より多くの人に伝わる表現であり、
    より長い年月を通して継承され続ける表現になり得るはずである。

    我々は表現するという行為に対して、もっと積極的になるべきであり、
    表現を受け止めるという行為に対して、もっと能動的になるべきだろう。


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