アアオイイエウウ

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    爆笑問題のニッポンの教養 複雑系科学 池上高志 博士が愛した「イノチ」

    爆笑問題のニッポンの教養。今回は複雑系科学の池上高志氏との対談。

    水の分子は1個だと、水だか氷だか水蒸気だかは分からない。
    でも集まってくると、水だったとか氷だったとか水蒸気だったとかがわかる。

    生命も同じように、分子1個だけを見ていたら、
    生命の分子なのか物質の分子なのか分からない。
    けれどたくさん集まると生命の一部だと分かる。
    じゃあいったい生命はどこにあるのかという話になる。
    そうすると物質そのものに生命はなく、
    生命はむしろどういうふうに見るかという問題になる。
    認識次第で変わってしまうのが生命だと。

    この考えは自分もよく思っていたこと。
    つまり「分かる」というのはどこで「分ける」のかということ。
    普段自分達はどこで「分けて」いるのか。
    境界線のないものになんとなくの境界線を引いている。
    境界領域がないのにあるように錯覚し、錯覚を自覚できていない。

    ここですごく面白いと思ったのは、帰納法的な考え方が当てはまらないということ。
    分子1個では生命だと見なせない。
    すると帰納法的に考えれば、その分子の集合である生物も生命と見なせないことになる。
    それは明らかにおかしいと。
    どこかで認識の転換がある。非生命から生命への認識の転換がある。
    分子→細胞→組織→生物、どこかで認識が転換しているけれど、
    それがどこかはわからない。そんな不思議さがある。

    生命を定義できないということは、
    自分を定義できないということであるし、
    他人も定義できないということ。
    本当に「分かっている」ことって少ないんだよなと実感する。
    「分かっている」ことも本当に「分かっている」のか分からない。
    混沌とした、まさにカオスのような認識の世界。

    複雑系科学ということで、
    カオス理論と生命を結び付けていることがとても面白かった。
    生命をカオスで論じる手法は知っていたけれど、
    今回の番組では自分の中でしっくりくるような、妙な説得力があった。

    カオス的なダイナミクスが生命を生むという考え方。
    複雑な動きや乱れが生命を生む。
    規則的な動きを機械にさせたりコンピューターでプログラムしたりすると、
    多様な乱れ方をする。
    なぜそのような乱れが生まれるのかは分かっておらず、
    初期設定を変えると毎回違う乱れ方になり、
    その乱れは事前に予測することが出来ない。
    そういったカオスのような存在が生命、人間、社会、自然なのだと思う。

    カオスであるからこそわけが分からない。
    乱れる。不規則。予測できない。

    こういった分からないものを分かろうとして
    科学などの学問は進歩してきたわけであるけれど、
    その結果というよりは、その過程で
    「分からないものだ」というところに回帰する矛盾回路。
    しかしながら、この「分からなさ」というものは
    「分からない」ということが「分かる」以前よりは確実に進歩した「分からなさ」であり、
    それがカオス理論、すなわち複雑系科学の面白さの一つだと思う。

    この「分からない」状態から、いったい何が「分かってくるのか」。
    改めてカオス理論について勉強したいと思わせてくれる内容の番組だった。


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